ありがとう。恵比寿。

djnobtee2007-07-20

昨日の昼下がり、ドアをノックする音。ドアを開けると黒いネコさんが二人やって来た。「ここ階段じゃん」。黒いネコさんたちは4階までの階段を上りながら、そう思ったに違いない。そして足の踏み場もないぐらいの部屋中に積み上げられた、ダンボール箱や機材の山をじっと見渡した黒いネコさんのたぶんリーダーが開口一番、僕にこう聞いた。「置いていくお荷物はありますか?」まぁ、そう聞きたくもなる気持ちはよくわかる。階段+多量の荷物。さらにもう一人の黒いネコさんは、そう若くない。痩せた背の低い、銀ブチめがねの中年の黒いネコさんだ。でもここは覚悟を決めてもらう必要がある。ここで申し訳なさそうに、もしくは同情を示すような態度で接して、黒いネコさんたちのモチベーションを低下させてはまずいと思い、僕はあえて標準語のイントネーションで「ありませんねぇ」。とクールに答えた。黒いネコさんたちは、目を合わせてうなずき合うのを僕は見た。覚悟を決めてくれたみたいだ。さらに付け加えると僕は昨日、運悪く、食あたりで極度の下痢状態。ピーピーです。マジで。いつ液状の汚物が吹き出してもおかしくない状態。とても荷物を持っての階段下りには参戦できない非常事態だった。そんな中、黒いネコさんたちの最悪の現場がスタートした。僕が部屋から階段まで荷物を運び出し、あとは黒いネコさんたちにお任せするカタチで作業は始まった。がんばれ黒いネコさんたちと願いながら、どんどん荷物を階段前まで運び出す、それを黒いネコさんたち荷物を持って階段を降りていく。途中、リーダーと思われる黒いネコさんが顔面を紅潮させ、飛び散る汗をぬぐいながら僕にこう言った。「3BOXで収まらないかもしれません」。もしやと予想していたが、もし収まらなかったら悪夢だ。2トンをチャーターした価格と同じぐらいになってしまう。「仕方ないですね」。と言っては絶対だめだ。ここはなんとか黒いネコさんたちの日頃から鍛錬された技術の高い積み込み術で乗り切ってくれと思いながら、僕は「なるほど」。と同意も否定もしない曖昧な返事をした。そして1時間半ぐらいで、黒いネコさんたちの地獄の搬出は終わった。何とか3BOXでギリギリ収まった。自転車はさすがに積み切れず別送に。よくやってくれた黒いネコさんたち。健闘をたたえオモッイっきりハグしたい気持ちを抑えつつ、料金を精算、支払った後で、僕は「これ階段の分、ありがとう」。と言って黒いネコさんにお礼を手渡した。
そして今日。何もなくなった部屋の掃除をしに行った。今や自転車のない僕は、通い慣れた道を歩いて行った。野沢通りから駒繋神社を抜けて、下馬のバス車庫の横道を歩き、そして曲がりくねった蛇崩川緑道から中目黒へ。ここまで歩いて約30分。自転車なら15分。いつもは通り過ぎる、中目黒駅、ガード横のコーヒーショップ、セガフレッドのカプチーノで一息ついて、桜が毎年きれいに咲く目黒川を渡って、居酒屋大樽を過ぎて、決して自転車を乗ったまま登ることのできない急な坂道の上が、槍が先の交差点だ。歩行者専用の信号が青になるのを待って、交差点を渡った左手が代官山。そのまま真直ぐ駒沢通りの坂を下ると恵比寿だ。JRのガードをくぐりぬけて渋谷橋を左に。明治通りを渋谷方面へ。東3丁目の交差点の手前のビルに昨日までスタジオがあった。長いようで短い、短いようで長かった夢の跡、だ。渋谷川沿いに建つこのビル。スタジオの西向きの窓から見る景色はそう嫌いでもなかったな。夕日がきれいだった。毎日、毎日。来る日も来る日も。寒い日も暑い日も。晴れた日も雨の日も。ここで音を作り、ここで音と戦い、ここで音と遊んでいた。夢をつかんだこともあったし、夢が指の隙間からか滑り落ちていったこともあった。いろんな思いが頭の中で浮かんでは消えて行く中、いい思い出だけを紡いで心の中にしまっときます。僕の東京、恵比寿の時代は終わった。新幹線、大阪行きの片道切符を買った。
peace